リンゴを「御リンゴ」と呼び、そうめんを「御そうめん」と呼び、野菜を「お野菜」と呼ぶ方がいる。女性に多い。
その「御」をつける丁寧な言葉遣いからは、聖母マリアのような博愛さえ感じる。
単なる食材に対しても「御」をつけて敬っている。その森羅万象に謙虚に接する姿勢からは、深い慈悲の心すら感じるのである。
「御みかんあるけど食べる?」などと言われた日には、何か大きなもの抱かれているような安心感さえ覚える。「嗚呼、俺の乱雑な人生はここにたどり着いたのか」と全てを赦してもらえる響きがある。全てを癒してくれるような「御付け女子」なわけである。
ところがだ。
自分の周りに何人かいる「御付け女子」がこぞって「御」をつけないアイテムがある。
そう、味噌汁の中にはいっている、例の大豆製品を揚げた油揚げだ。
彼女らは、それを「揚げ」と呼ぶ。
専売特許であるはずの「御」をつけずに「揚げ」と呼び捨てにするのだ。
ちなみに、自分は、普段から、なにかにつけて『御』はつけない。
『お餅』ではなく『餅』、『御婆様』ではなく『ばぁさん』、『御手洗い』ではなく『便所』。
乱雑にして粗暴な言葉遣いの人間なのである。
ただ、そんな自分でさえ味噌汁の油揚げは「揚げ」と呼ばずに「御揚げ」と呼ぶ。
逆に、御揚げ、というのが正式名称くらいに思っている。
「オットセイ」が「オ」から始まっているようなもので、あれも「オアゲ」であり、「オ」取って「ットセイ」と言われても何がなんだかわからないように「アゲ」だけでは意味をなさい感覚だ。「揚げ」って何だ。それはデフォルトで「御揚げ」だろ。
そんな「オアゲ」に対して、「御付け女子」が、バッサリと『揚げ』と切り捨てるはドキッとするくらい暴力的な響きがある。
上品な貴婦人が、素手でゴキブリを捕まえて壁にたたきつけて殺しているのを見かけてしまったくらいの衝撃だ。
様々なアイテムに対して、これでもか、というくらい『御』をつけて丁寧に話しかけてきた人が、通常「オ」をつけるべきと思われるものを、「揚げ」、と呼び捨てにするから落差が激しすぎるのだ。冷酷に過ぎる。
なぜ、そんなに「御揚げ」だけ虐げるのか。
その昔、「御揚げ」がなにか悪いことをしたのか。
同じ大豆製品の豆腐も味噌も「御豆腐」や「御味噌」と敬うのに、なぜ揚げたとたんに、そんなに見下すのか。逆に、豆腐と味噌のどこがえらいのか。
豆腐と味噌と油揚げが入って構成される味噌汁も「御味噌汁」で、そのなかで一緒に浮いているネギも「御ネギ」で、それらを総称して「味噌汁」ではなく「御味噌汁」と呼んでいるのに、なぜに「御揚げ」だけが「揚げ」と位落ちしているのだ。なぜオアゲだけ差別されるのだ。
いや、待て。
確かに味噌はえらいのかもしれない。
日本の食卓を数百年にわたり支えてきた日本食必修アイテムである味噌。
人に言えない苦労もあったろう。プレッシャーに耐えかねて泣きたい日々をあったろう。それを物ともせず、日本食の頂点の一角として君臨してきた味噌には「御」をつけてしかるべきなのかもしれない。
豆腐もそうだ。
味噌汁の中に泳いでいるだけではない。湯豆腐から冷ややっこ、ゴーヤチャンプルから豆腐ハンバーグ、鍋・すき焼きにかかせない具の王様といっていいかもしれないが極めて主張はしない。縁の下の力持ち的に黙って日本の食卓を支えてきた奥ゆかしいリーダーシップには、やはり、「御」をつけて報いるべきなのかもしれない。
そうか、大豆製品のなかでも味噌と豆腐だけは別格なのか。
オアゲが格落ちしているわけではなく、味噌と豆腐がすごすぎるのか。
やはり、それらは永久に敬われるものであるのか。
・・・・いやまて。
・・・・オカラはどうなる?
あれは「御付け女子」も「カラ」ではなくて、「オカラ」と呼んでいる。
オカラとは、そんなに偉いのか。
オカラ・・・・Wikipediaによれば「おからは大豆から豆腐を製造する過程で、豆乳を絞った際の搾りかす」とある。
カス・・・ではないか。
その名の通り、カス・・・・あまりものではないか。
いや、オカラも大切な食材だ。侮るつもりは全くない。
でも、味噌や豆腐に比べたら、常に使われているわけでもない食品ではないか。油揚げよりも劣るとは言えないだろう。
嗚呼、オアゲよ・・・・
虐げられても日本の食卓に美味しさに思いを馳せる、台風が来ている月曜日の午後だった。