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■アメリカの英語学校へ入学
高校赤点6回の英語力でいきなり渡ったアメリカはなかなか刺激的でした。
最初の6週間はバージニア州にある英語学校に行きました。
お世話になっていた留学斡旋所がアレンジしている英語学校でかなり凄いところでした。
通常アメリカの英語学校というと、色々な生徒さんがいます。「アメリカで遊びたいけどとりあえず英語学校くらい入っとくか」という人から、「その後本当の大学に行くから真剣にやらなきゃ」という人まで様々なモチベーションの人がいます。
幸か不幸か、僕が送りこまれた英語学校は、その後にアメリカの大学に進学することが決まっている生徒だけしか居ない、極めて意識の高いところでした。しかも、ドがつくくらいの田舎です。真面目に勉強するしかない、そんなところでした。しかも、記憶が正しければ、その留学斡旋所がアレンジしていた英語学校は全米で4つあって、僕が入ったのは4つの中でも一番レベルが高いところ、ということでした。
え?一番レベルが低いところじゃないんですか?
日本にいるときに、ここを薦められた僕は戸惑いました。
アンニュイな感じのカウンセラーのお姉さんは「ううん、君なら大丈夫よ。ここ絶対にいいから」と太鼓判を押したのでした。
何が大丈夫なんだろう。
全く根拠のない彼女の励ましの意味は分かりませんでしたが、そこは
フッ、そうか、きっと俺には、これまで様々な英語教師がよってたかって見つけることの出来なかったキラリと光る英語の才能があるのだろう
とポジティブに信じることにして、この1番レベルが高いという英語学校にひょこひょこ来たのでした。
私程度の英語力で1番レベルの高い英語学校を薦められるということは、案外、みんな英語ダメダメちゃんなのかな?
そんなホノカな希望もあったのですが、行って直ぐに分かりました。
自分がかなり場違いなところに来たことに。
そこに居た日本人の英語のレベルは想像を絶するほどでした。
■超人的なクラスメイト達
例えば、一人の日本人は、早速書店で「英英辞典」を買っていました。
僕はそれを見て気が遠くなりました。
皆さん、英英辞典というものはお使いになりますでしょうか?これは英語が苦手な人間にとっては危険極まりないブツです。
英単語をひくと、英語で説明が書いてあるわけで、その説明の中には必ず複数個の分からない単語があるわけです。つまり相手は1人だと思って戦い始めたら、いきなり5人くらいに増えているようなものです。ひけばひくほど分からない単語が増えていく。これはもう、ねずみ講的な被害の拡散となりどうしようもない代物です。それを買って「ようやく手に入れた」的に喜んでいる彼は、英語赤点ボーイの僕からしたら神童に見えました。因みに彼が持っていた「英和辞典」は辞書の引きすぎで真ん中あたりがボワーンと倍くらいに膨張していました。じゃぁ、勉強だけのガリ勉君なのか、というと「ボクサーだった」とのことで、いやはや、こういう強い意思の人が留学とか志すべきなわけですな、と圧倒されたのを覚えています。
更に、もう一人は、関西の進学校出身とのことで、この人も英語は相当できたようでした。何しろ、アメリカ人の先生から何か言われても「アイツが間違えとる」と、ネイティブを英語で否定するような実力の持ち主です。
これを聞いたとき僕は気絶しかけました。
先生に楯突くとは、何事?しかも、英語のことについてネイティブにだよ、え?
そいつの口癖は、「俺は○○高校の英語の実力テストで最高3位やったんや、おっさん舐めたらあかんで~(関西風)」というものでした。進学校で実力テストで英語が3位ってどんだけ出来るやつなんだ、とこれも圧倒されました(ただ、そういう台詞は1位になってから言ったほうが格好いいのにな、とは思いましたが)
そのほかにも、芝生の上で英語の小説を原書で読んでいる男とかも居ましたし、英語力という意味では恐ろしいほどの若者ばかりでした。
因みに、僕は英語が嫌いでした。なんか暗号の暗記のように思えて全くやる気が起きないものでした。なので、英語が出来る人を見ると、きっと私とは違ったタフな精神力を兼ね備えている凄い人なのだな、と畏怖の念を抱いてしまうのです。そんなのがバンバン居ました。
また、英語だけではありません。「高校の頃ホームステイしたことある」だとか、「海外旅行でどこどこ行った」だとか、もう、なんというかグローバル化されている子達が多かったです。そこにいくと僕はといえば、一番海外の近くまで行ったのは小さい頃親父に羽田空港に飛行機を見に連れて行ってもらったこと、という純日本人なわけです。例えば、ベッドひとつとっても、長いシーツを封筒みたくしてピチピチにマットレスに被せて周りを挟む形でベッドメイキングということをするのがあちらの流儀なのですが、そんなこと知るかとばかりに掛け布団のように使っていた無垢で純粋な日本人だったのです。しかも田舎者です。
しかし、そんな彼らを見て、感じたのは
私のレベルはやばすぎる
ということでした。
■初めての自己紹介
英語力、もそうだが、海外慣れみたいのもない。
あまりの差に愕然としたのですが・・・・
逆に良かったのは、吹っ切れたということです。
開き直れました。
こりゃ、笑うしかない。
こりゃ、開き直るしかない。
愛読書の「柔道部物語」の名台詞でこんなのがあります。
集中力、それは肚(はら)を決めること
そうです。肚を決めるのです。
僕は吹っ切れて、開き直って肚を決めるのです。
そうすれば究極の集中力が生まれるのです。
最初のクラスでは、自己紹介の機会がありました。
当然英語で自己紹介です。
みんな凄い自己紹介が飛び交っています。
さすが英語オタク達です。
そもそもの実力が高いうえに準備も相当なのでしょう。
ハイレベルの英語が飛び交っています。
ネイティブの先生も満足げに頷いています。
「うんうん、君らいいね、僕の門下生として十分イケてるね」
そんな雰囲気で聞いています。
そこへ、ついに僕の番が来ました。
ネイティブの先生も「はい、次の君、やってごらん。君はどんな素晴らしい英語を披露してくれるのだ?」と眼を細めています。
周りの生徒たちも「次は、どんな出来るやつだ?」と同類の英語ラバーの出現を心まちにしている様子です。
■異端児と呼ばれた男
僕は、すくっと経ちました。
オーディエンスの期待は半端ありませんでしたが、そんなのでひるみません。
僕はもうはらを決めたのでした。
―ふっ、いっちゃる。ここで、ど根性をみせて圧倒しちゃる!
僕はそのままの素の気持ちを全面に押し出すことにしました。
おるぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ
いっちゃるでーーーーーーぬぉぉぉおおおおおおおおお
咆哮(ほうこう)じゃーーー!!!!!
(今の英語力は低いけど、いつかこの中で一番英語がうまくなってやると言いたかったのですが、完全に意味不明の英語でしたね(笑)
全てのものがとまったようでした。
皆、驚いて僕を見ていました。
ネイティブの先生も固まっていました。
コイツ、何者!?
という顔をしていました。
当然ですが、「すげー出来るやつがいたぜ、なんだ、こいつすげぇ」という「コイツ、何者!?」ではなく、「なんでこんな英語がへぼなヤツが、この1番レベルの高い英語学校に入り込んでるのだ?何の手違いがあった?」のほうの「コイツ、何者!?」です。
ネイティブの先生は、それでも笑みを絶やしませんでした。
初めてみたアメリカ人の「苦笑い」でした。
そこから僕はトップスピードで英語の学習を始めました。
知らない単語は全てメモ帳に書き出し、その日の単語はその日のうちに全部覚えるまで寝ない、というルールを作りました。宿題も多く深夜というか夜があける直前まで勉強することもあります。そりゃコックらコックら眠くなるわけですが、寝そうになったら自分の顔面をグーで殴るくらいの気合を入れました。
そんなやる気になった人間にとって、その英語学校はとても充実していました。
■英語の猛特訓開始
ありとあらゆるものを活用しました。例えば、夜11時までは日本人同士でも英語以外喋ってはダメ、というルールがありました。
僕のルームメイトは日本人だったのですが、彼とも日本語ではなく英語で話せとのことです。恥ずかしさを捨て、真剣に取り組むと、これはとてもいい訓練になりました。
先ず、ネイティブの喋っている英語は、発音がネイティブすぎて分からないことが多々ありました。Water(水)なんかも、「ワタァッ!」みたいな「ケンシロウかおぬし?」みたいな音ですし、そこへいくと日本人なら「ウォーター」ときっちりと日本字読みしてくれる人が多かったので分かりやすかったです。しかもお互い語彙が限られているので、簡単な単語の応酬ばかりです。こちらの単語も発音が悪くても分かってくれます。ネイティブだと分かってくれなくて会話がとまります。つまり日本人同士だと会話がそれなりに続くわけです。当然発音やリスニングの勉強としては相応しくないですが、英語でインプットしたものを英語でアウトプットし返すという訓練としては最高でした。日本人同士英語で話すってのは、少し、こっ恥ずかしい面もありますが、英語になれるための訓練としては最高です。
ということで、アメリカ人の英語はパッパラパーでしたが、日本人同士だとそれなりに「お、なんか、英語で表現してるぜ、俺」くらいの感覚がもてました。当然、超低レベルでのことですが。
しかしうまくいくことばかりでもありません。大変なことも沢山ありました。例えば、英文学みたいなクラスが毎日あるのですが、The Great Gatsby(偉大なるギャッツビー)という有数の小説が課題でした。数年前にデカプリオが主演の映画も出来ている、あれです。でも描かれたのが1925年だそうです。時代的には宮沢賢治の「注文の多いレストラン」が出版されたころの作品なわけです。英語を勉強するには少し古すぎないかという感がありますが、当時は、何がなんだかわかりませんでした。いずれにせよ、これ1ページ読むのに30分くらいかかりました。なんせ単語殆どわかりませんから。それを10数ページ読んで来い的な課題を与えられるわけです。そりゃ死ぬわけです。
僕は、そんな英語ワールドにどっぷりつかっていきました。
■現れ始めた変化
早い段階で一つの変化がありました。
なんと、渡米1週間後くらいに、なんと、夢を英語で見たのでした!
まぁ、内容は少し変わっていて、何故か、海岸線を白い犬が小刻みよくこちらに歩いてくる夢でした。
左側はいい感じのビーチです。季節は夏。
そこに白い犬がやってきます。
僕は自動販売機の前に立っていて、犬に話しかけます。
「コーク、バット、ノー、マネー(コーラのみたいけど金がない)」と何と英語で話しかけたのでした。
そうすると犬は、肩をすくめます?
で、僕は更に英語で続けます。
「マネー?」(金ない?)
犬に金を無心しているところでどうかと思いますが、何しろ英語の夢なのです。
犬は肩をすくめると、たったったったと歩き去っていく、そんな場面でした。
わけわからん夢ですが、いいんです。
英語は「コーク」「バット」「ノー」「マネー」と小学生でも分かる4語だけですが、それでもいいんです。
― おお!おいら英語で喋っちょる。
次の朝、目覚めると英語で夢をみた余韻でまくらに顔を押しつけムフムフしていたいことは言うまでもありません。
そうです。自信というものは恐ろしいものです。少しでも自信のついた僕はそこからまたまた調子に乗り始めるのでした。
つづく、