「貴方の英語、変ですね」と言われたら
こんにちは、イングリッシュブートキャンプのジェネラル(GENERAL)こと児玉です。
数年前に、ある大手のビジネス英会話スクールが派手に電車広告のキャンペーンを打ちました。シリーズもので、広告の真ん中には日本人の方の顔が大きく印刷されています。そして、彼らの言葉としてちぐはぐな台詞が書かれています。
「わたしをタクシーと呼んでください」
「はい。私は月曜日なら都合のいい女です」
「お目にかかれて大変光栄です。お前は何者ですか?」
等々。そして、あなたの英語はこんな風に聞こえているかもしえません、と間違えの可能性を面白おかしく指摘するもので、最後に共通のキャッチフレーズが「ちゃんとした英語を仕事ですから」と、入るものです。
ビジネス英語で、あなた、こんな風に聞こえていたら大変ですよ。だからうちに来て、もっとしっかり英語を勉強しましょうよ、という広告でした。
突然ですが、僕は静岡県で生まれ育ち、20歳で初めて海外を訪れました。それまでは、純日本の環境で育ち、なにより英語が大の苦手で、大嫌いでした。高校では、3年間で6回も赤点を貰ったくらい「折り紙つき」の英語難民でした。
さて、そんな僕は何を思ったか20歳でアメリカに渡ります。
向こうの大学に留学しました。
英語力ほぼゼロでの留学。苦労の連続でした。(その辺りのお話はまた今度させてください!)
英語のせいで、大学では授業は全く理解できません。
「成績が悪いと退学」というプレッシャーのもと連夜の徹夜。なんとか食らいついていこうともがきました。
幸運にも教授をはじめとした様々な周りの方々の温かくサポートしてくれたことで、何とか最初の年を生き残れました。
英語はめちゃくちゃでした。1年もすれば何とか日常会話は不自由しなくなり、授業もほぼ理解できるようにはなりましたが、それでも英語への苦手意識は消えません。知らない単語も表現もまだまだ沢山ある。聞き返さないと聞き取れないことも少なくない。発音もめちゃくちゃに違いない。文法なんて気にする暇さえない。
当然、テストや提出物でのスペルミスや文法間違いも多々あったでしょう。表現も大学生にしては平易でした。テストでは「英和辞典を持ち込んでもいい」というハンディまで貰って受けていました。クラスでも一生懸命発言しましたが、その英語は滅茶苦茶だったはずです。
つまり大学生としては、「ちゃんとしていない英語」だったのですね。
ところが、1年が終わると、なんと政治学部が成績でAをくれました。また、同時に最優秀生徒賞として奨学金をくれると言うのではないですか。
おおお、努力が報われた!と手放しで大喜びするというよりは、むしろ、戸惑いました。
理由は僕の英語力です。こんな「ちゃんとしていない英語」で高い評価を受けていいはずがないと思い込んでいました。
だから、政治学部のヘッドの教授に会いに行き、率直に言いました。
「僕の英語力で、奨学金を貰うのはおかしいのではないか」と。
教授は不思議そうに、「英語力?なんで英語力が関係あるんだ?」と言いました。
そして、続けました。「君は誰よりも一生懸命取り組み、クラスで沢山発言し、そして教科についてしっかり理解していた。賞を貰って当然だよ。英語はコミュニケーションツールに過ぎない。そのうちうまくなればいい」と。
この言葉を聞いた瞬間、「英語」というものの役割や本質が、自分なりに見えた気がしました。
英語をツールとして使って、自分のミッションを成し遂げることが何より重要だと気づいたのです。当然、いつかはちゃんとした英語を喋りたい。
でも、いい。最初はちゃんとしていなくても。
むしろ、まだまだ英語が発展途上でも、自分のやるべきことのために勇気を持って英語でコミュニケーションを取り始めるほうがよっぽど大切。逆にそういう生き方こそグローバル環境で生き残る姿勢だと思いました。
「貴方の英語、ちゃんとしてませんね」と煽ってくるのは、不安を駆り立て何かを売りつけたい人達かもしれません。
「貴方の英語、ちゃんとしてませんね」と迫られたら、
「そうなんです。英語がちゃんとしていなくても動き出している勇者なんですよ、わたし」
と言い返してあげましょう。