児玉です。短期集中の英会話合宿『イングリッシュブートキャンプ』を主宰しています。
その中で思うことは、英語が通じないのは、半分は相手のせい
海外でレストランに行った時、メニューについて質問する日本人は少ない。
だいたいアメリカのレストランでは、席についてウェイターがやってくると、まずは「今日のおすすめ」等を紹介してくれるが、正直この英語がハイレベルすぎる。
レストランの喧騒もありリスニングには適していない環境で、更にウェイターの方も早口だったりする。また、彼らもできるだけ食欲をそそるような単語をズラズラ並べてくるわけで、これが分かりにくい。
単なる「エビのグリル」も「地中海オマール海老の黒胡椒風味七種のフレッシュハーブたっぷりグリルの産地直送トリュフ添え」とご利益のありそうな、そそられそうな単語をバンバン並べて紹介してくれるわけだ。そんなのを早口のマシンガンのような英語で言われたら、絶対にわからない。
私はアメリカに7年以上住んでいたが、それでもわからない。
このウェイターの「今日のスペシャル」の紹介が始まると、日本から来たゲストの多くは皆笑顔を張り付けてウェイターの独演が終わるのを待つ。そして、ウェイターが「なにか質問はありますか?」と聞かれても、笑顔でやりすごし、最初から決めていたメニューをオーダーして事なきを得る。「uh….Cheeseburger please(チーズバーガーください)」と。
まぁ、ここでウェイターに「もう一度言ってください」とは言いにくい。
ここはアメリカのレストランなわけだし、そこで十分な英語力が無いのはこちらに責任があるように感じてしまうかもしれない。「英語が不十分なのはこちらが悪い」。「自分の英語力が低いのが原因で聞き取れなかったのにわざわざ言い直してもらうのは悪い」と。
だが、ここは発想を変えていきたい。
国際社会は、低文脈(ロー・コンテクスト)だ。
文脈とはお互いが持っている前提となる情報だ。「そこは言わなくてもわかるでしょ」という部分だ。お互い共通の「文脈」を持っていれば会話は楽だ。例えば「大阪のおばちゃんっぽい」と言えば、言語が示す「大阪の中年女性」よりも圧倒的に多い情報が相手に伝わる。こういった「文脈」が、それぞれの地域にある。ちなみに日本は高文脈社会と言われている。既に共有している情報が多いので「阿吽の呼吸」で多くのことが伝わるのだ。
国際社会でのコミュニケーションとは、この地域特有の「文脈」が殆ど通じないなかでのやり取りだ。
更に、共通語である英語だって様々な英語がある。英語を母国語とする人はせいぜい4億人に満たないが、非母国語として英語を喋っている人は5億人以上いる。様々なアクセントの様々なレベルの英語が飛び交っているわけだ。
そんなところでの「コミュニケーション」は、お互いの努力によって成り立つものだ。
話す方も、聞くほうも、お互いが理解するために様々な努力や歩み寄りが必要だ。
相手の言っていることが分からないのは、こちらの(言語的な)理解度が低いにしても、相手の伝え方が不十分なところもある。
小学生相手に松坂が本気で150kmのストレートを投げたらどうだろうか。
「おいおい、松坂さん、相手は小学生なんだから、150kmのストレート投げても打てないでしょ」となるのと同じだ。
「相手が、英語を得意としていないのであれば、なんでアンタ超剛速球の英語で話しているの?」ということだ。
だから、「親切に」聞き返せばいい。難しいことはない。
丁寧に「Can you repeat it again?」と言うか、少し顔をしかめて「Sorry?」と言えば、相手も「やべ、早すぎた」「あら、もう少し簡潔に説明したほうがいいかしら」と解ってくれる。
「あ、ごめんなさい、エビのグリルです。ハーブの風味で美味しいですよ」と言い直してくれる筈だ。
英会話を成り立たせるのは「お互いの努力」と考えていきたい。